【ソウル=ニューシス】キム・ヘギョン記者=慰安婦強制連行について証言した日本人吉田セージ(吉田淸治・2000年死亡)が忠南天安国立望郷の丘に建てた「日帝強制徴用謝罪非」が「慰霊碑」に置き換えた。
12日産経新聞によると、謝罪雨を交換したのは、吉田の長男で、彼は父親の慰安婦強制連行の発言が虚偽であるため、謝罪非交換した。
吉田セージは1943年から1945年までは主に韓半島南部から日本軍慰安婦強制動員の任務を引き受けた人物で、「戦争中、韓半島で慰安婦にするため、済州島で多くの女性を無理に連行した」と証言して、日本で大きな論議を起こした。
朝日新聞は、関連コンテンツを、1980〜1990年代に約16回にわたってプレスしたが、2014年8月に吉田の発言内容を裏付ける証拠が見つからなかったとして32年ぶりに関連記事を公式キャンセルしている。
吉田が天安に謝罪雨を立てたのは、1983年に、彼は自分の行動を懺悔する内容の自伝「私の戦争犯罪朝鮮人強制連行」を著し、その印税で謝罪雨を立てた。彼は当時、謝罪非除幕式も直接参加碑文の内容を直接朗読し、参加者の前にひざまずいて祈ったことが分かった。
しかし、吉田の長男は、父親の証言が偽証しながら謝罪比を慰霊碑に交換したものである。彼は去る3月日本の自衛隊の前自衛官に依頼して謝罪非撤去をしようとしたが、撤去が難しい者謝罪非上に別の表示石をパッドを入れる方法で慰霊碑に交換した。
慰霊碑には、韓国語で「慰霊碑吉田佑都(吉田雄兎)福岡(福岡)」と書かれている。吉田佑都は吉田セージの本名である。
彼は「父の偽証で韓日両国の国民が不必要な対立をすることになった」とし「もう我慢できなかった」と明らかにした。「父が私費をかけ立て非場合、遺族の権限で撤去が可能だと思った」と話した。
産経新聞は、彼の証言をもとに「父の謝罪比を撤去し」というタイトルの本を執筆、来月2日に日本で出版すると発表した。
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